700マガジン
フットゴルフワールドカップ ~その4~
2021.11.15
フットゴルフワールドカップアルゼンチン大会が終わりました。
この大会が日本にもたらしたものは何だったのか。前に進むために必要な課題とは。
前回お伝えしたキーワード 「プレーできる環境、海外で勝てる環境」
フットゴルフそのものが広く認知され、流行りではなく文化として根付かせるための環境作り、そしてワールドカップをはじめとした世界的な大会で勝てるための真剣勝負の場の創出、この2つは日本フットゴルフ協会の設立からの命題だったのかもしれません。
ただ、それがワールドカップを機に加速していったと考えてもいいのではないでしょうか。
2016年から翌2017年にかけて国内ゴルフツアーの会場やサッカーJリーグの会場、羽田空港やさいたまスーパーアリーナなど様々な場所でフットゴルフの体験イベントが開催されます。
また、アメリカンフットゴルフリーグとの合同によるフットゴルフのエキシビジョンマッチを本場アメリカのゴルフツアーの会場で開催。両国を代表する元サッカー代表選手と現役プロゴルファーがタッグを組んでのプレーは日本チームが勝利。ゴルフ、サッカーと競技の垣根を越えたイベントは話題を呼びました。
また、現在も続くフットゴルフの常設コースがひとつ、またひとつと増えて少しずつではありますがプレーできる環境が整っていきます(2016年時点で全国5か所)。
選手たちもアクションを起こします。
「アルゼンチン後はまず国内の大会(ジャパンオープン)の開催ゴルフ場が増えたことが一番印象深いです!
また、自分はトミーコンペとして毎月いろんな方に体験していただけるようなコンペを開催するようになり、田中雄太くんもTNK CUPを始めたりワールドカップの選手たちのアクションも協会とは別に出始めましたね!
アジアカップやアメリカ遠征などもあり一気に国際的にフットゴルフの幅が広がりました!そこでの経験がまた出場者には絶大なものがあったと思います!
私自身は身近にフットゴルフができるようにとゴルフ場へのプレゼンを始め2箇所のゴルフ場へのフットゴルフ誘致に成功しました!
常設コースが数えるほどしかない中、とても大きな一歩だったと思ってます。」(冨沢和未選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
このころの国内のフットゴルフの競技人口はおよそ1万人(2017年当時)。
今も続くフットゴルフを「文化」として日本に根付かせるための「プレーができるための環境作り」に対するアクションはさらに加速していくことになります。
対する「競技」としてフットゴルフに取り組むための環境の創出。2015年のオランダキャピタルカップを経て2016年初頭のワールドカップアルゼンチン大会で目の当たりにした海外との差。この差を埋めていき「海外で勝てる」ためにはどうすればいいか。
アルゼンチン大会後の動きから2つのポイントが見えてきます。
(1)国内の競技環境の整備・向上
(2)海外でのプレー機会の創出
国内では、2016年には初のフットゴルフ賞金ツアー「JFGAフットゴルフツアー」を新設、海外の大会を含む22大会を対象とした年間ポイントランキング制を採用し、獲得ポイントの上位3名には年間ポイントランキング賞金を贈呈。さらに年間ポイントランキング上位20名のみが参加資格を得られるジャパンオープンファイナルでは優勝者に賞金50万円が贈られました。
さらに2017年には国際フットゴルフ連盟(FIFG)は「FIFGワールドツアー」を新設。世界各国の300大会以上が参加するフットゴルフ世界ツアーの誕生です。ワールドツアーの開始に合わせてこの年のJFGAフットゴルフツアー全試合がワールドツアーの基準を満たす大会となった他、10月には世界で6大会しか開催されない「FIFGワールドツアーメジャー1000」の大会が長野県の軽井沢72ゴルフ南コースで開催されました。この大会には海外のトップ選手も数多く参加。中でも優勝を果たしたベンジャミン・クラーク(イギリス)はアルゼンチンワールドカップの個人戦トップ5の選手であり、この軽井沢の大会の優勝でこの年のワールドランキングでトップに躍り出るなど当時の世界最高峰の選手。国内でも世界レベルでの真剣勝負が出来る機会が作られていきます。
左から2番目:ベンジャミン・クラーク選手
そうした中、選手のメンタルもワールドカップを機に変化を見せます。
「W杯という舞台を経験したことで、一打一打の重要性、世界とのレベル差を痛感し、帰国後のアジアカップに向けた国内大会からは各代表選手の試合に挑む意識、立ち振る舞いが大きく変わったと思います。
最初の頃のフットゴルフ日本代表は世界を『知る』『体感する』『差を知る』事しか出来なかったと思います。
やはりサッカー先進国のフットゴルフスキルの高さは顕著でした。
日本代表として海外での大会に参加するたびに日本選手が着実にレベルアップしていき、2016年夏に行われた第一回アジアカップ制覇への道が出来たのも事実でした。」(田中雄太選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
一方の海外でのプレー機会の創出。2016年のJFGAフットゴルフツアーの年間ポイントランキング制度が海外の大会も対象になったことも追い風となり、個人としてのエントリーで海外の大会に挑む選手たち。その思いは。
「2016年6月から自称プロフットゴルファーとして活動をしていました。プレーヤーとして高みを目指すのはもちろん、キャピタルカップやワールドカップを経験し、フットゴルフを競技スポーツとしてだけではなく生涯スポーツとして日本に根付かせたいと想い、独立しました。
日本では得られない経験を培っていくために積極的に海外大会に参戦しました。
世界との差を確認するために。
ワールドカップは国を代表した選手しか参加できませんが、海外大会に参戦すると日本代表選手より上手い選手が多数いる事がよくわかります
ワールドカップで上位に食い込むためには、突出した個ではなく、日本全体のレベル底上げが必要です。
日本の大会と海外の大会の戦い方は全く別物だと思っていて、世界標準のコースがない、複数日大会がほぼない、同じ会場同じコースの繰り返しなどが理由です。
日本の大会は代表になるための戦い方。
世界との個人レベルはますます差が広がっている危機感があります。
(オランダ)キャピタルカップが日本人選手にとっての海外の聖地のような位置付けになり、アルゼンチンワールドカップ後のキャピタルカップ2016には日本人選手が10名参加しました。翌週末のフレンチオープンにも8名の選手が出場。個人的には(前年に日本代表として参加し)何もできなかった(同じ)キャピタルカップで自分の成長を確認するため、また経験値を積み上げるために仲間たちとヨーロッパ遠征を行いました。」(新井晋選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
「まだ優勝経験は無かったですがワールドカップで海外のコースや会場の雰囲気に慣れた感じがしました。6月にオランダ、フランスに行き自信が付いたと思います。」(峯尾和延選手/2016年ワールドカップ出場)
この年のオランダ・キャピタルカップにはワールドカップアルゼンチン大会の個人優勝クリスチャン・オテロ選手も出場。さらに団体戦優勝国のアメリカから出場した選手たちと団体戦で対決するなど日本選手たちはレベルの高い選手たちとの戦いを経験しました。
大会日程もタフそのもの。
個人戦が3日間連続で3戦、しかもその中に団体戦も組まれるハードさ。初日から個人戦18ホールが終わった後に同じ国の選手4名ずつによる団体戦を2回戦行い終了したのが午後の10時過ぎと日本では考えられないスケジュール(オランダはこの時期日が長くその時間まで明るい)。
さらに翌週開催のフレンチオープン(フランスのパリ近郊で開催)では2日間の開催のところ、1日目は個人戦18ホールを2コースで合計36ホールをラウンド、2日目は個人戦予選通過者による決勝ラウンドとその後の団体戦を戦う2日間でトータル72ホールとこちらも超ハード。しかもコースは530m!のロングホールあり、川や池が多数配置され、なおかつ池に浮かんでいるような四方を池に囲まれたグリーンを狙うホールありと本場ならではの攻め方や技術はもちろん心理的なプレッシャーもかかる難コース。「体も頭も二重に疲れる。」(新井晋選手)
日本国内ではなかなかお目にかかれない状況下でフットゴルフ漬けの日々。新井選手はそれを「楽しかった」と振り返ってくれました。
オランダ・キャピタルカップにて 右端:新井晋選手 左から2番目がアルゼンチンワールドカップ個人戦優勝のクリスチャン・オテロ選手
フレンチオープンにて 左端:新井晋選手。その隣が峯尾和延選手
さらに日本代表としての戦いの場が作られていきます。2016年8月中国で開催された第1回アジアカップ。ワールドカップからおよそ半年。新たな舞台で新生日本代表の選手たちは快進撃を見せます。
この大会は個人戦とチーム戦で1日36ホール、2日間合計72ホール、高温多湿という環境や中国というアウェイでの厳しい戦いが待っていました。
しかし、12人の日本人選手達はしっかり結果を残し、個人戦1位から3位とチーム戦1位・2位を独占。栄えある第1回フットゴルフアジアカップに日本の名をきっちりと刻むこととなります。
左から八谷紘希選手、桑田寛之選手、冨沢和美選手、鈴木秀成選手
「フェアウェイにカップが切られたりと少しずつ世界のコースに似たセッティングが組まれ最高のコースコンディションでの大会でした。
大会の結果としてはアジアにおいてはまだまだ各国フットゴルフの歴史が浅いこともあり、日本優位の状態で個人戦、チーム戦ともに大会としては進みました。
日本の敵はどちらかというと夏場の中国の天候でした。
高温多湿の状態で水分はとっていたものの、自分自身も熱中症になり初日の夜はダウン。
それでもなんとか2日目プレーでき、最後まで集中を切らす事なく、初日からスコアを守り個人優勝することができました。
チーム戦は日本としては初めての経験でもあり、(アルゼンチンワールドカップでは予選で足切りのためチーム戦出られず)ペアを組んでやる楽しさ、難しさをプレーをしていく中で確認しながらとなりましたが、他国を圧倒するスコアでチーム戦(団体戦)も優勝することができました
結果としては日本として最高の結果での第一回アジアカップとなりました。」(桑田寛之選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
「アジア杯は初めての代表選手としての海外遠征という事もあり、とにかく無我夢中でした。
大会初日の1番ホールのティーキックはド派手にすっ転んだのを覚えています。大会自体も40度近い気温の中1日に2ラウンド、それを複数日ととにかくタフでした。
しかし、W杯を戦った先輩達との共同生活は全てが勉強になりフットゴルファーとしてはもちろん、1人の人間としても成長できたのかなと思います。
日本代表として何度も海外遠征に行く事がありますが、16年のアジア杯はチーム内最年少でした。
最年少だから特別な事をする訳ではありませんが、常に視野を広く色々な所に気を配ったり等の意識はしていました!
優しい先輩方なので決してパシられたりはありませんでした(笑)
遠征中は基本的には2人部屋のケースが多いので、先輩方の私生活やフットゴルフに向き合う姿勢はとても勉強になりました。
特に16年のアジア杯は堀之内聖さん(元プロサッカー選手)と同部屋でした。セルフケア等のオフ・ザ・ピッチの過ごし方、プロアスリートとしての立ち振る舞いもとても勉強になりました。」(平野靖之選手/2018年ワールドカップ出場)
「運良くこの大会も代表に選ばれ第1回ということもありタイトルを取りたかった。
最終日最終組で桑田選手とトップタイ、3位には鈴木秀成選手、オーストラリアの選手の4人でスタートしました。
ただいつもと違ったのは、今までに感じたことのないピリピリとした空気。2打差を猛チャージする鈴木秀成選手の気迫。
途中単独トップになった場面もあったが最後は桑田選手の長いイーグルを決められお手上げでした。結果、準優勝することが出来ましたが記憶に残るのは頂上の1人。桑田選手は最高の選手の1人でありアジアチャンピオンに相応しかった。
ホールアウトしたあと感じたことは、こんな緊張感のあるフットゴルフは初めてだった。こんな緊張感を持ってやらなければこの先、日本のフットゴルフは世界で勝てないと代表選手全員が感じたはず。」(峯尾和延選手/2016年ワールドカップ出場)
念願の初タイトルを手にした日本代表チーム。さらに戦いは続きます。
11月に開催されたアメリカでの第1回日米対抗戦(パシフィックフットゴルフトロフィー)。アルゼンチンワールドカップでは団体戦優勝のフットゴルフ王国、アメリカに挑みます。
「当時、日本ランキング15位くらいでしたが、上位選手の辞退もあり、ついに日本代表に選ばれました。
まず驚いたのは、海外選手のパワーです。海外ではマネージメントを重視して全力で蹴らないと聞いていたのに、バンバン蹴ってきました。笑
ゴルフ場も日本と違いがありました。平らなフェアウェイのど真ん中にカップがあり、強さをミスするとかなり先まで転がってしまう。日本人がビビって刻む中、相手はピタリと寄せてくる。アプローチ技術にも大きな差がありました。
団体戦の結果は日本の惨敗でしたが、自身のアプローチやパットが海外でも通用することがわかり、自信もついた大会でした。」(小林隼人選手/2018年ワールドカップ出場)
「ワールドカップ、アジアカップを経験し、団体世界チャンピョンのアメリカ代表との対抗戦。
ワールドカップの屈辱から僕らは世界との差をどれだけ縮められたのか、どこかで勝てるとも思っていた。結果は惨敗。何も差が縮まっていなかった。キックの距離、精度、パットの技術、すべてにおいて劣っていた。日の丸を背負うとは自分自身のために結果を残すこと。その先に何があるかはわからないですからね。またいつかいろんな意味でリベンジをしたいと思っています。
特に印象に残っている選手は、Angel Reyes Jordan Godfrey Piero Menorの3人です。(この大会のトップ5)
この3人のラインの読み方は異常なほどに正確でそれに合わせたコントロールも素晴らしかったです。」(峯尾和延選手)
「2016年の日米対抗戦は、日本代表としての初めての海外遠征試合でした。
会場はゴルフ天国とも言われるカリフォルニア州パームスプリングスの「デザート・ウィロー・ゴルフ・リゾート」。ゴルフダイジェスト誌によって全米ベスト50に選ばれているコースです。
この上ないチャンスと素晴らしい環境を存分に楽しもうと、数日前に現地に入ると、アメリカのメジャー大会であるUSフットゴルフ・ナショナル・チャンピョンシップの練習ラウンドと大会を観戦することができました。
前回大会チャンピョンのジョーダン・ゴッドフレイ選手らの練習ラウンドを見学させてもらうことになり、一緒にコースを回り始めると、彼らのフットゴルフは私が日本で持っていたイメージと全く違うものだと感じることとなりました。
超一級のゴルフコース内にレイアウトされたフットゴルフコースの見事さ。難易度の高いレイアウトに挑む、アメリカのトップ選手たちのレベルの高さ。翌日から始まったチャンピョンシップと、並行して開催されていた全米クラブ団体戦を観戦することは、今まで知ることのなかったフットゴルフ文化の洗礼でした。
日米対抗戦では、アメリカのシニアのトッププレーヤーたちとラウンドをすることになりました。彼らの良くマネージメントされたプレーを見るにつけ、自分はフットゴルフのセオリーを何も知らないことを実感させられました。
いくつもの初歩的なミスをラッキーに助けられ、なんとかアンダーで回ることは出来たものの、終始フレンドリーな態度でラウンドを共にしてくれたアメリカの代表選手たちのプレーと比べると、私にはフットゴルフのスタイルがないことを痛感しました。」(大塚有尋選手/2018年ワールドカップ出場)
2017年にも日本代表はアメリカへの遠征を果たします。
現地時間8月31日から9月3日で開催された国際フットゴルフ連盟のワールドツアー2017のメジャー大会6大会のひとつ「US Pro-Am」。
ワールドカップチャンピオンのクリスチャン・オテロをはじめアルゼンチンサッカー界のレジェンド ロベルト・アジャラなど豪華なメンバーを含む総勢127名の強豪が揃う大会。
左:大塚有尋選手 右はアルゼンチンサッカー界のレジェンド ロベルト・アジャラ選手
大会の様子を大塚有尋選手に伺いました。
「西のパームスプリングと並ぶゴルファーの聖地、フロリダ州オーランドで開催されるUSPRO-AM へ、再び日本代表として参加することになりました。
この大会には、ヨーロッパや中南米のトッププレーヤーが数多く参加していました。多国籍のプレーヤーたちが、早朝のクラブハウス前に集い、それぞれのカートに分乗し、一斉にスタートホールに散って行く様は壮観でした。
コースは長くタフでした。カップの多くはフェアウェイの馬の背状の場所か、砲台グリーンのバンカーを背負うようなカラーに切ってありました。またリユニオン・リゾート特有のうねるようなフェアウェイはボールの転がりを難しいものにしていました。
この時期の私は、フットゴルフのプレースタイルがまだ定まらず、結局苦しい数日間を過ごすことになりました。しかし、カートをシェアしたトップ・プレイヤーのニコ・ガルシア選手の助言や、フランスやアルゼンチンのシニア選手とのラウンドから、マネージメントについてのヒントを数多く得ることができました。
大会期間中のパーティーや表彰式は、カジュアルで盛大なアメリカ的楽しさに満ちていました。世界のフットゴルフ・ファミリーの絆を感じられる素晴らしい機会でした。」
そんな世界トップレベルの大会で桑田寛之選手は9位という見事な結果を収めました。
桑田選手に話を伺いました。
「世界の様々な大会にも出場を通じて上位国との差をどんどんと縮められているようにも思えている時期だったので代表選出されアメリカの最高のコースで最高のメンバーとの試合はとても待ち遠しかったです。
3日間での個人戦のみの大会で、初日から周りを意識することもなく自分のもっている力をしっかり出し切れた。
初日にいい位置につけ、2日目は初日ミスしたところもしっかり修正でき初日以上のスコアを出し、最終日を迎えてラスト3組(12人)に入ることができた。
最終組から3つ目の位置までくると、周りは全員様々な大会でも優勝するようなトップ選手ばかり。
その中でも自分を見失わず、最後の18番のパッティングを入れるまで、ぶれずに自分の力を出し切れて日本人として初めてのTOP10入りの9位で大会を終えることができた!
これまで海外との差を埋めるべく自分でメニューを考えて練習してきたことが、しっかり発揮できた大会となり本当に嬉しかった。」(桑田寛之選手)
ただ、桑田選手のように「いい結果」と振り返れる選手もいればそうでない選手もいます。
ここでこの大会から見えた「フットゴルフ日本代表の”あるべき選手像”」について触れるエピソードをご紹介します。
小林隼人選手がこんなお話を聞かせてくださいました。
「日米対抗戦の経験や自信から成績も良くなり、国内ランキング上位で日本代表に選ばれました。意気揚々と大会に参戦したものの、結果は惨敗。見事に叩きのめされました。
代表期間は基本的に共同生活なので、成績が悪くても一人で勝手な行動は出来ません。自身の不甲斐ない成績から不機嫌な態度をとってしまいましたが、そのときコージャさんが叱ってくれました。こういう日本代表の先輩がいて、あるべき姿を学んでいきました。」
この時のことについてコージャ今村選手からもお話を伺いました。
「フットゴルフは基本的には個人競技ではあるが、日本代表という「チーム」の一員として行動している以上、成績の良し悪しはあっても、自分さえ良ければいいというような周囲に悪影響を与えるような態度や振る舞いをしてはいけない。あの時は代表としての「一体感」や「責任感」を意識してほしくて(小林選手を)叱った。今はまだプロではないけれどプロと同じような振る舞いをしなければいけないし、日本代表を目指す人からの憧れの存在でなければならない。ああいう選手になりたい、あの場所に一緒に立ちたいと思われるような振る舞いをしなければいけない。同じ山をみんなで登っている意識で、相手をリスペクトしたり賞賛できる意識を持つこと。(2015年オランダ・キャピタルカップで初代日本代表(オリジナル6)として選ばれた)先駆者としてそうした意識を率先して行動で示してきたつもり。」
また、峯尾和延選手からもご自身の日本代表選手としての意識についてこんなお話を聞かせていただきました。
「代表についての意識は、まず日の丸を背負うことで、見られる側になるということはフットゴルフに限らずサッカーで培ってきた経験で振る舞いや意識はしていました。
アルゼンチンでのワールドカップは弊社がフットゴルフ日本代表オフィシャルスポンサーになっていただけたので誰よりも意識していたと思っています。
アジアカップでは代表の副キャプテンとしてプレーだけではなく選手との会話を増やしたり励ましあったりすることも意識しました。結果、木村勝選手の体調不良にいち早く気付くことができました。代表には選手の成績も大事なのですが、そこにはたくさんのサポートが必ずあること、スポンサー、日本フットゴルフ協会あっての日本代表だということを忘れてはならない。今ではたくさんの選手が代表に選ばれ、たくさんの選手にチャンスがある代表、フットゴルフ日本代表を価値のあるステージにしていくために少し先の未来を意識しています。
これが僕の考えるフットゴルフ日本代表です!」
フットゴルフ日本代表が誕生してわずか2年。
その短い期間の中でこんなにも国を、選手を、そして競技そのものを代表しているという意識を感じながら取り組んでいた選手たち。
そこには日本代表という「伝統」の始まりや継承をも感じられます。
世界から見ればその足取りは順調とは言えないかもしれません。ただ、1歩ずつ、確実に成長しながら進んでいる様子を強く感じます。
次の大舞台、2018年ワールドカップ・モロッコ大会まであと1年。2回目のワールドカップがやってきます。
次回はそのモロッコ大会の代表選手選出の軌跡を追います。
どうぞお楽しみに!!