700マガジン
フットゴルフワールドカップ ~その9~
2022.09.30
2020年が幕を開けました。
日本フットゴルフ界にとっての至高の舞台、第4回となるフットゴルフワールドカップが開催される年。
ワールドカップイヤーです。
しかも今回のワールドカップの開催地は地元日本。
いつも以上に選手の皆さんのワールドカップに懸ける思いは強いものに違いありません。
ワールドカップは2020年9月23日に開幕。
7月26日に最終戦を迎えるジャパンツアーはワールドカップの出場権を得るための重要な戦いとなります。
2019年12月14日の第1戦を皮切りに2019-2020シーズンジャパンツアー全16戦が幕を開け、1月25日には第4戦を迎えました。
ワールドカップを目指す戦いを繰り広げる選手の皆さんはこの時どんな気持ちを抱えながらツアーに臨んでいたのか。
話を聞きました。
「W杯で優勝も目標にしていましたので、日本で優勝したいという強い気持ちを持っていました。また、コロナ前は日本でのW杯開催ということで、必ず出場して、応援していただいている方にプレーしている姿を見てもらい、結果で恩返しするという強い気持ちでプレーしていました。」(高波瀬史人選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
右:高波瀬史人選手 左は松浦新平日本フットゴルフ協会会長
「19年のアジア杯落選の悔しさをぶつけるべく、そして自国開催のW杯に出場し前回のモロッコ大会のリベンジをする事を目標にシーズンをスタートさせました。私生活からフットゴルフと向き合う時間を増やし、常にフットゴルフのことだけを考えて日々生活していました。」(平野靖之選手/2018年ワールドカップ出場)
「ワールドカップが日本で開催されるという嬉しさや興奮を抑えられない気持ちを持ちつつ、2020年1月25日の大会を優勝して良いスタートダッシュを切れました。代表圏内に入るには前半戦が大事だと考え、そういう意味ではシーズンが開始して間もない頃の優勝は大きな意味があると感じています。」(八谷紘希選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
八谷紘希選手
「初の代表のアジアカップが終わり、休み暇もほとんどなく新シーズンへ突入しましたが、W杯への出場を目指し心機一転フットゴルフに向き合っていこうと決めて臨んだシーズン前でした。」(大塚高雅選手(2019年アジアカップ出場)
「2019年の最後と2020年の最初のツアーは、ワールドカップが日本開催ということも決まっていてとてもワクワクしていたのを覚えています。自分が日本人がその場でどうこうということではまったくなく、日本国内に色んな方にフットゴルフを知ってもらう興味を感じてもらう心躍ってもらう最大の機会だと思ったからです。」(冨沢和未選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
「2019年は所属するディヴァインエールフットゴルフクラブの立ち上げと、秋にオーストラリアでのアジアカップに出場、そして所属するクラブに新メンバー3名を含めてスタートした12月。2試合目の12月15日には僕もカテゴリー優勝、さらにはクラブが3カテゴリー優勝、その後も女子かシニアは誰かが優勝と、順調に試合が進んでいくものと当たり前に思っていましたし、僕自身もしっかり継続して結果を出そうと思って行動していました。」(工藤誠司選手/2018年ワールドカップ出場)
右:工藤誠司選手
「この頃は、11月30日に行われたプレシーズンマッチ、12月14日第9回Shields Open、12月15日栃木オープンと3戦連続の2位、それでも年明けで迎えた2020年緒戦1月25日第10回Shields Openでシーズン初勝利をあげることができ、今回こそ絶対にワールドカップ日本代表に入るぞ!!と冷静に熱くプレーできていて絶好調でした。」(根元央希選手/2022パシフィックトロフィー出場)
根元央希選手
「オーストラリア(アジアカップ)が終わった後で海外では何もできなかった気持ちが強く、この頃から立花選手や熊倉選手、照井選手など男子選手たちに混ぜて練習させていただくようになりました。」(三浦尚子選手/2019年アジアカップ出場)
三浦尚子選手
「ワールドカップ日本開催、二度とないチャンスだと思っていましたのでランキング1位を目指し必ず出場する!と意気込んでいました。」(阿漕洋子選手/2018年ワールドカップ出場)
右:阿漕洋子選手
「ワールドカップを見据えて結果にこだわりたいと思い、各大会優勝する為に準備をしていました。」(山野香織選手/2018年・2019年アジアカップ出場)
右:山野香織選手
およそ8か月後に迫るワールドカップに向けての決意や思いが漲る内容です。
当然ながら見据える未来には一点の曇りもありません。
選手の皆さんの思いはひとつ。
「ワールドカップ出場」
それしかありません。
しかし、ジャパンツアーが4戦を消化し、いよいよ日本代表入りに向けた戦いが本格化しようとする2月を迎えたころ、世界が、日本が深く恐ろしい闇に包まれます。
新型コロナウィルス。
中国から広がったともいわれるこの感染症は日本のみならず世界中に感染が広がり人々の日常を一変させてしまいました。
学校の休校、飲食店や娯楽施設の休業、イベントの中止が相次ぎ3月には世紀の一大イベントである東京オリンピックの翌年への延期も発表されます。
フットゴルフ界も例外ではなく、2月末からのジャパンツアーは延期や中止が相次いで発表され、ワールドカップを目指す戦いは思わぬ形で中断を余儀なくされます。
このころの選手の皆さんはどんな思いを抱いていたのか。
選手の皆さまにお話を聞きました。
「あの当時は未知のウイルスである真っ只中だったので致し方ないなと思っていました。なので今の環境で何が出来るか、を考えました。例えば所属するガナドールフットゴルフクラブのチームのみんなで定期的なオンラインミーティング、オンライン体感トレーニング、パットトレーニングとその環境で思いつくGood ideaを皆で出し合い、切磋琢磨し合っていました。そこから発展した小林隼人さんと企画したOnline Putting Challenge大会も本番さながらの緊張感でプレー出来てとても有意義な時間だったと思います。」(鈴木秀成選手)
※すべて選手提供 コロナ禍で行動が制限されるなか、選手の皆さんが出来る限りのアクションを起こしていた様子が伝わってきます
「今では多くのエビデンスがあり、細心の注意を払いながらの外での活動は許容されてきてはいるものの、当時は誰もが経験したことのない状況でしたので、仕方ないの一言に尽きます。広い視点を持てば、フットゴルフをやっている場合ではない状況であったと思います。」(八谷紘希選手)
「ツアー中止に追い込まれてきてはいましたが、すぐ収束して、W杯の予選が再開されると思っていましたし、希望していました。」(高波瀬史人選手)
「考えていても仕方がないので、ツアーがいつ再開しても戦えるように、常にトレーニングを欠かさず、準備していました。」(立花友佑選手/2019年アジアカップ出場)
「中止になること自体はどうしようもないことですし、自分で変えられる環境でもないので、次の大会に向けて日々コンディション維持に努めました。」(桑田寛之選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
「コロナのまん延が進み大会延期中止等が増えてきても、やることは変わらず目標に対しできることはもくもくと実施していました。モチベーションが下がるといったことはなかったですね。」(山縣祐人選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
「2月の大会から、翌月こそは、次こそはと大会が予定に向け準備するものの中止となる状況は、それまで調子が良かっただけに辛く歯がゆく、目標を見失いかけていました。そんな中、コロナ過で運動する機会が減っている状況をみんなで今を乗り越えようという『おだチャレ』企画(地元小田原市体育協会主催)に参加。第一回は縄跳びで10日間で小田原市の人口189,651回、第二回は14日間で小田原城天守閣過去最高年間入場者数775,406回…というように、一日に一人3,000回までの範囲で申請し、期間内の参加者全員の合計で目標回数クリアにチャレンジというもの。個人的には通勤できず在宅だったことを逆に活かし、第一回~三回まで計38日間毎日参加して一人で10万回を超え、他にも通勤しない分夕方空いた時間でリフティングやキックの練習など、先は見えなくてもその時を楽しみながらモチベーションを保ちながらトレーニングをしてコロナが落ち着くのを待っていました。打ち込めることが見つかったことは心身ともにコロナ過でも成長に繋がり、この取り組みは今もなお継続しています。」(根元央希選手)
「中止になったとしても、いつかは試合が再開されると思っていましたので、基礎トレーニングなどはしっかり継続しておこうと考えていました。この時から体のことを良く考えるようになりました。」(工藤誠司選手)
「もしかするとワールドカップも中止、延期になるかもしれないと考えるようになりました。」(阿漕洋子選手)
「外出制限などありましたので庭でパット練習をしたりしながら過ごしました。でもいつかは終わると思ってましたし、ワールドカップを目指す気持ちは変わらなかったです。」(三浦尚子選手)
さらに日本フットゴルフにとって重大な決定がなされます。
2020年フットゴルフワールドカップ日本大会の1年間の開催延期。
日本のみならず世界においてもコロナによる影響が大きい状態では、ベストなコンディションでフットゴルフをプレーすることはもちろん、大会に参加するために海を渡って日本に来ることすら困難な状況です。
いわば世界は「フットゴルフどころではない」状況だったのです。
せっかくの晴れの舞台が望まれない、祝福されない大会になってしまわないように、この時点ではこれがベストな選択だったのでしょう。
実はこのころ、2020年フットゴルフワールドカップの公式サイトからこんな発表がありました。
「2019年のワールドポイントによる出場枠として安村翼選手、鈴木秀成選手、小林隼人選手、立花友佑選手、冨沢和未選手のワールドカップ日本大会への出場決定」
※その後6月には木村勝選手と大塚有尋選手の出場権獲得が発表されました
正式発表に至るまでの内定期間もあったとのことで、5人の選手にとっては出場が決まった嬉しさと、コロナによってワールドカップに向けて思い切り動き出せないもどかしさの中で揺れていたものと考えられます。
皆さんのお話の中にもそうした葛藤が浮かび上がってきます。
「自分自身は2019年の世界ランクでワールドカップ出場が内定していましたが、正式発表が無かったため不安な状況でした。1月の大会では約1年半ぶりに優勝しましたが、親友に捧げる大事な勝利でした。その後ワールドカップ出場が正式発表され、正直ホッとしました!勝負ごとなので、いつか日本代表から落選する日が来ます。その恐怖心からの開放は心が楽になりました。」(小林隼人選手)
「2020年は、山口県内でトレーニングしかしていない状況でした。ワールドカップの出場権も獲得していたこともあり、ジャパンツアー参戦は家族と協議して不参加だったと思います。トレーニングでは、不安しかなかったですね。開催されるのか!?このままだと開催されても参加するだけになるのでは!?そんな気持ちがグルグルしていました。」(安村翼選手)
「WR(World Ranking)で出場が確定したということもあり、何にフォーカスすべきか、を重視していました。例えば優先順位としてW杯会場となるセブンハンドレッドに月に何回行けば自信を持って本番を望めるか、などです。プレーをする以前にどんな環境を自分と周りのサポートを貰いながら整えるか、ここにフォーカスしていました。」(鈴木秀成選手)
「ワールドランキング枠で出場することが決まり、より一層ワールドカップに向けたトレーニングをすることができ、目の前の目標が明確になりました。」(立花友佑選手)
「3月にはワールドカップの延期が発表され、もっとコロナの渦が加速していくという前代未聞の世界的驚愕を危惧しました。中止じゃなくてよかったという安堵感、このままのコロナに振り回されたままむかえていたのでは準備が疎かになる、でも本当に翌年開催されるのだろうか?選手1人1人の立場や思いを懸念しそんな感情たちと向き合いながら過ごしていました。そして国内の大会自体いつになったら開催できるかどうかも不透明でゴルフ場に行くことさえ躊躇する世の中が待っていました。」(冨沢和未選手)
5人の選手にとってはワールドカップ出場がゴールではなく、それはスタートなのだということが伝わるお話です。
「出場して世界のトップを勝ち取る」
アルゼンチン、モロッコと過去のワールドカップを経験し、世界の実力者に打ち勝つために日々プレーしている選手の皆さんにとっていつしかワールドカップは出場するものではなく、勝つものとなっていたのでしょう。2019年の日本チャンピオンであり、海外での優勝も経験した立花選手にとってもそれは同じです。
夢の晴れ舞台、日本大会は1年後の2021年9月へとリセットされました。
「やっと訪れた自国開催のW杯が延期になった事は理解は出来ましたが感情の整理がつくまでに時間を要しました。ただ、発展途上の日本のフットゴルフ界においては〝もう1年、入念に準備が出来る〟と捉える事が出来ましたのでもう一度本番から逆算して『今何をすべきか』を考えるようにしました。」(鈴木秀成選手)
鈴木選手のこの言葉はきっと多くの選手の気持ちを代弁していると感じます。
前に進むしかない。
芝生の上ではなく、日常の中での別の戦いを経験したこの期間は、きっと選手の皆さんにとっては人として成長を促す数か月になったことでしょう。
コロナ感染の第1波が落ち着きを見せた2020年6月、再びフットゴルフが動き始めます。
6月20日(土)に4会場同日開催となるフットゴルフリスタートイベント シールズフットゴルフコンペティション が開催されました。
関東会場:セブンハンドレッドクラブ(栃木県さくら市)
東海会場:アドニスゴルフクラブ (岐阜県恵那市)
関西会場:ローズゴルフクラブ (滋賀県甲賀市)
中国会場:徳山国際カントリークラブ(山口県周南市)
選手の皆さんにとっては待ちに待った日となったことでしょう。
これまでと違い感染対策を講じての大会となるものの、やっとフットゴルフのある日常が戻ってきました。
※ともにセブンハンドレッドクラブ開催からの一コマ
選手の皆さんにお話を伺いました。
「シールズオープンの開催は、コロナ禍でもフットゴルフは安全に楽しめるということを広げていきたい、離れていてもフットゴルフで繋がっていると感じてほしい、という思いから開催に至りました。」(高波瀬史人選手)
「そのイベントは私も参加しましたが、やっと公の場でフットゴルフが出来る、フットゴルフはやっぱり楽しい、フットゴルフ最高という気分でした。また、代表が確定している7選手がいることで、ワールドカップに出場できる日本人選手も必然と増えますので、感謝しているとともに自分も絶対という気持ちでした。」(八谷紘希選手)
「4会場同時開催のシールズオープンでは関西地方を担当させていただきましたが、参加した皆さんが気持ちよくプレーされる姿をみて、延期された2021ワールドカップへ向けスイッチが再びはいったような感覚でした。」(大塚高雅選手)
「夏を前にしていろいろな対策を講じて大会を開催するようになり、自身を含め7人の日本人選手が昨シーズンのワールドランキングによりワールドカップの出場権を獲得でき、国内に再び希望の燈になるべく前へ光を照らし出しました。なかなか外出することさえままならない世の中で夢にまで見た日本でのワールドカップに向け、前向きにそれぞれの選手が試行錯誤していたのではないかと思います。」(冨沢和未選手)
「(ワールドカップ出場が決まっても)ツアーには出続けることにしました。代表争いのために大会に出るだけでなく、毎回の大会で皆と競い合うことが楽しいことに気付きました!」(小林隼人選手)
「再開したとはいえコロナの状況としてはまだまだ国内としても難しい状況だったので、21年に向けてどうスキルアップしていくかなかなかスケジュールもたてきれず、モチベーション維持等も大変でした。」(桑田寛之選手)
「ツアー再開初戦の軽井沢での第10回shields openでは中断期間中のトレーニングの成果を活かすことができ4位。翌日から2daysで開催の軽井沢チャンピオンシップでは初日を終え4位タイ。最終日は最終組みに入り優勝を狙っていましたが、雨が降り難しいコンディションの中、怪我をしてしまいました。なんとか順位・ランキングポイントを死守すべくプレーは続けましたが、この時の判断がその後半年間まともにフットゴルフをプレーできない身体になってしまいました。」(平野靖之選手)
「様々な出来事に関して自分と関係ないものは意識せず、自分の出来ることをやっていこうと考えていたし、もちろんワールドカップメンバーに選ばれないとならないので、出来ることを続けようと思っていたのは事実です。ただ、2020年から2021年に延びたということは、1つ歳をとるということでしたのでその点での不安は少しありました。」(工藤誠司選手)
「フットゴルフどころか通勤、プライベートでもなかなか外出できない状況が続いていて、正直ワールドカップはなるようにしかならないかなと思っていたように記憶しています。そういう中で、満足できるスコアではなかったものの、4大会同時開催のShields Openはフットゴルフが帰ってきた!!と、久しぶりの大会に参加できた喜びが大きかったです。」(根元央希選手)
「女子は誰も(出場)枠を取れていなかったので、ジャパンツアーで勝たなきゃ出れないということは変わらなかったので影響はなかったです。ワールドカップの延期で期間が伸びることについては、スポンサーの兼ね合いや、身体の作り方などいろんな予定の組み直しが必要だったので、かなりハードに動いていたのを覚えています。ただスケジュール的にもやること再開されてきていたので希望を持って毎月の試合に臨んでいました。」(三浦尚子選手)
「4会場同時開催されたSHIELDS OPEN は外出自粛していた為約半年ぶりのラウンドでした。開放感とフットゴルフの楽しさを改めて実感しました。」(阿漕洋子選手)
ともにセブンハンドレッドクラブ開催からの一コマ 仲間との、そしてフットゴルフとの再会に選手の皆さんからは自然と笑みがこぼれる
このリスタートイベントの開催を皮切りに、中止が続いていたジャパンツアーが再開されます。当初7月で終了を迎える予定だったシーズンは、2021年7月までの2019~2021シーズンとして期間を延長し、ワールドカップ出場権を巡る争いもあと1年間続くこととなりました。
再開後のツアーのうち2020年に開催された大会の優勝者をまとめました。
7月24日 第11回Shieldsオープン(長野県・馬越ゴルフコース)
一般:冨沢和未選手 シニア:工藤誠司選手 女子:三浦尚子選手
7月25日~26日 軽井沢チャンピオンシップ(長野県・軽井沢プリンスホテルゴルフコース)
一般:立花友佑選手 シニア:阿部敏之選手 女子:三浦尚子選手
8月29日 第12回Shieldsオープン(岐阜県・アドニスゴルフクラブ)
一般:冨沢和未選手 シニア:工藤誠司選手 女子:阿漕洋子選手
8月30日 岐阜オープン(岐阜県・アドニスゴルフクラブ)
一般:松下智史選手 シニア:栗原祐二選手 女子:三浦尚子選手
9月12日 第13回Shieldsオープン(群馬県・群馬カントリークラブ)
一般:八谷紘希選手 シニア:工藤誠司選手 女子:山野香織選手
9月26日 第14回Shieldsオープン(北海道・ゴルフ5カントリー美唄コース)
一般:小林隼人選手 シニア:栗原祐二選手 女子:前田春香選手
9月27日 北海道オープン(北海道・ゴルフ5カントリー美唄コース)
一般:山縣祐人選手 シニア:栗原祐二選手 女子:阿漕洋子選手
10月23日 さくらオープン(栃木県・セブンハンドレッドクラブ)
一般:熊倉巧也選手 シニア:根元央希選手 女子:三浦尚子選手
11月28日 第15回Shieldsオープン(栃木県・那須国際カントリークラブ)
一般:川尻蓮斗選手 シニア:栗原祐二選手 女子:三浦尚子選手
11月29日 那須オープン(栃木県・那須国際カントリークラブ)
一般:八谷紘希選手 シニア:栗原祐二選手 女子:阿漕洋子選手
12月19日 第16回Shieldsオープン(栃木県・TBC太陽クラブ)
一般:柴田晋太朗選手 シニア:岡 洋之選手 女子:阿漕洋子選手
12月20日 栃木ウィンターカップ(栃木県・TBC太陽クラブ)
一般:立花友佑選手 シニア:岡 洋之選手 女子:山野香織選手
すでにワールドカップの出場権を掴んでいる小林隼人選手、冨沢和未選手、立花友佑選手が名を連ねる中、残りの枠を巡る争いは激しいものとなりました。
2019年のワールドランキングによる選出(先の7選手)に加えて予定されていた2020年のワールドランキングによる選出がありますが、まずは各国に分配された出場枠である一般の部7名、シニアの部3名、女子の部2名に入ることが出場への条件となります。
一般の部では松下智史選手、川尻蓮斗選手、柴田晋太朗選手がツアー初優勝。ワールドカップを経験した選手がさすがの実力を発揮する中、過去2回の大会に出場していない選手の突き上げも激しく予断の許さない状況となりました。
シニアの部では同様に栗原祐二選手、根元央希選手、岡洋之選手が初のワールドカップを目指して優勝を飾ります。シニアの部は出場枠が一般の部に比べると非常に少なく、狭き門に実力者がひしめく形となりました。
女子の部も同様に出場枠が少ないため、ひとつの結果が出場枠に関わる大事な戦いとなります。三浦選手が初の舞台を目指すなか、ワールドカップを始めとした数々の日本代表を経験した実力者も力を発揮。各カテゴリーとも勝負の2021年に向けて目が離せない状況となりました。
また、10月24日には、ツアーの開催に合わせて日本代表候補合宿を開催。24名の選手による本番に向けた強化の機会が作られました。
これまで経験のない強化合宿。選手の皆さんにはどんな時間となったのか。
話を伺いました。
「まず控えめに言って準備が大変でした。フットゴルフ協会の強化部という立場を頂いておりましたので、ランキング上位の代表候補選手、1人1人に電話をかけて参加の依頼をしたり、合宿のテーマに掲げた『心技体』に沿った形でプログラムを考える。プロサッカー選手として第一線で活躍された元鹿島アントラーズの阿部敏行さんには『アスリートとしての心構え』を講義して頂けないか相談したり、技術と体の部分は日本フットゴルフトレーナー協会の瀧田、田村先生に相談を煽り、プログラムを考えました。
終わった後参加選手からのフィードバックも貰いましたが自分の至らぬ点をたくさんフィードバック頂いて『確かに、ここできてなかったな』という思いを沢山させて貰いました。個人的にはとても貴重な経験をさせて頂きました。」(鈴木秀成選手)
「阿部さんのご講義がとても印象に残っています!自分を甘やかさない、そういう選択をしないといった話は、自分のスタイルにも通じるものがあって、心に響きました。」(小林隼人選手)
「団体戦で勝つことを目的とした合宿で、チームとしての底上げや、個人の力の向上をはかりました。個人スポーツなので、中々チームとして話し合ったりすることが少ないので、貴重な時間だったと思います。」(立花友佑選手)
「直前の8月9月のジャパンツアーでは2勝と2位が一回と決して調子は悪くなかったのですが、代表合宿は悪いところがだいぶ出てしまいましたね。力みとか気負いとか。この時に元Jリーガーの阿部さんの食事の管理などの講和や、室内でトレーニングを行った体幹強化については終了後も継続して練習も行っていますし、食事も管理していますし、何歳になっても良いと思うことはどんどん取り入れようと思っていました。」(工藤誠司選手)
2020年10月24日 日本代表合宿での一コマ
この頃はコロナの感染状況は第2波のピークは越えたもののワクチンの接種もまだ始まらず、不安と隣り合わせの日々。そんな中、選手の皆さんは前を向いて走り続けていました。長いトンネルの向こうにある夢と希望の舞台を目指して・・・
しかし、そんな思いはまたしても残酷な現実に翻弄されることになります。
年が変わった勝負の2021年、この年最初のツアーとなる栃木県セブンハンドレッドクラブでの戦いを目前にした1月28日、その発表は出されました。
「FIFGフットゴルフワールドカップ日本2021大会の中止」
今度は延期、ではなく中止です。
誰もが夢に見てきた、そして目の前に迫っていた舞台は突然消え去ってしまいました。
日本フットゴルフ協会松浦新平会長によると、国際フットゴルフ連盟(FIFG)総会がリモートで行われ、その中でワールドカップを開催するか中止にするかの議論が交わされました。日本時間の21時から始まったその議論は日を跨ぐ長時間におよび、最終的にはFIFG加盟国各国会長による多数決で開催か、中止かの決が採られることになりました。
そして開催には票が入らず中止が決まったということです。
「なかなか残酷だな」と思いながら「受け入れるしかなかった」という松浦会長。
当然ながらすぐには、そして簡単には全てを受け入れられるものではないでしょう。
開催を勝ち取り、本番に向けて準備を進める中での多方面に渡る皆さまのご尽力や出場に向けて努力を重ねてきた選手たちのことを考えれば当然のことです。
選手の皆さんはどんなことを感じたのか。
お話を伺いました。
「日本開催決定に至るまで本当に多くの方の協力があって叶ったチャンスだったと思います。日本のフットゴルフレベルも飛躍的に発展していたところでしたのでその時は喪失感はありました。」(鈴木秀成選手)
「ホーム(日本)で実施できることを大変楽しみにしていたのと、多方面の方が日本開催に向けて尽力してくださっていたことを知っていたので、中止が決定したことは、やはりとても残念な気持ちでした。」(桑田寛之選手)
「大会独特の雰囲気や緊張感、そして本気で頑張る姿を日頃応援してくれる方々に生で見てほしかったです。残念ですが、次回日本開催で実現させたいです。」(小林隼人選手)
「前回大会のリベンジはもちろんでしたが、自国での開催、そして地元栃木での開催ということでW杯出場に強い思いを持って日々を過ごしていました。この様な世界情勢で中止になってしまったのはしょうがないです。次回大会に向けレベルアップする時間を与えて貰えたと思い、練習に励みます。そしていつか日本開催された時に頂点に立てる様に努力するのみです!」(平野靖之選手/2018年ワールドカップ出場)
「自国開催が決まった瞬間からワールドカップに出場し、優勝することが最大の目標であったので、再延期ではなく中止になったことは非常に残念でした。」(田中雄太選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
「コロナは全世界を恐怖に包んでいます。中止になってしまったのは残念ですがそれ以上にフットゴルフ界を守る判断をしてくれた関係者のすべての方にrespectします。またいつかフットゴルフワールドカップ日本開催されることを願い、僕ら選手はレベルアップしなくてはならないので。」(峯尾和延選手/2016年ワールドカップ出場)
「残念な思いはある一方、コロナウィルスの感染拡大を少しでも抑えるためには、中止という選択は最善の決断だったと思います。もちろん、日本人として日本開催は特別な思いがありましたが、2023年にアメリカで開催予定の第4回目となるワールドカップでは、日本代表として戦えるのであれば、頑張りたい気持ちです。」(八谷紘希選手)
「私が経験した様々な経験を、一人でも多くの日本人に体感して欲しくて日本開催を心待ちにしていました。それが幻となってしまったことは本当に残念です。今回の大会中止は、日本のフットゴルフ界にとって、かなり大きな損失だと思っています。この損失をリカバリーする為にも、ワールドカップの日本開催再招致は是が非でも実現しなければならないと考えています。」(軍司和久選手/2018年ワールドカップ出場)
「フットゴルフが少しずつ認知度が高まっていると言われたり、耳にする事が増えて来ましたが、それは知り合いやフットゴルフ界隈という狭い中で見えている世界じゃないかと。SNS はフットゴルフ界隈の人たちが情報を流していて、沢山見れるのは当たり前。体験会などを通して会話したり、極力俯瞰してみるようにしていますが、まだまだ認知度が低いと感じていました。だからこのワールドカップ日本開催には本当に期待していました。サッカーやゴルフを知らない方でもきっと見聞きし、なんそれと気に留めてくれるんじゃないかと。あとゴルフ場の方が見て、ウチでも導入してみたいとコース数の広がりにも期待がありました。普及活動には限界があるので、まだまだ強いテレビなどメディアで取り上げられ、これまでとは違った層に知って貰う機会が今回のワールドカップと思っていました。最近マナー違反の方も増えていると感じています。(SNS上でしか判断できませんが)マイナースポーツが広がっていく上で起こり得る問題と認識しています。フットゴルフを知って、プレーして貰うためにどうすればよいか。ゴルフ場は敷居が高いというイメージがあり、足かせになっているのもあると聞きます。最低限のルールとマナーを守って貰い、気軽にやって貰いたいですけど…協会、選手、ゴルフ場さんとの連携が必要です。」(新井晋選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
「このシーズンの結果が宙ぶらりんになってしまう形になり競技を続けるかどうかさえ悩んだ選手もいたり、ほとんどの選手が下を一度は向いてしまったと思います。ですが今までやってきたことに悔やむ必要はありません。たしかにこの時点でのランキング上位者にしてみれば悔しくて悔しくてという思いでしょう。世界とまだまだ差のある日本としては世界のトップとの差を埋める時間として前向きに向き合うしかないのです。(中止については)思ったよりあっさり受け入れられたと思います。コロナに対しての日本国内だけの価値観よりなにせワールドカップなので世界各国の参戦国それぞれの価値観を同じ目線で見なくてはいけなかったので。一度延期になってそこで開催しても参戦できる国があり参戦できない国があるのではやっぱり違うと思いますし。オリンピックであれだけ賛否両論が最後まで論破していましたし。フットゴルフの普及に関してもそうですけど、なんでも運と縁とタイミングだなぁと。運が悪かったですね。ネガティブに考えてしまえばあれこれでてきますけど、ポジティブに日本として準備期間ができたと思って次世代選手を担います(笑)日本は早く独学から卒業しないといけない時期にありますので選手たちが試行錯誤するための期間ができたんですきっと。」(冨沢和未選手)
「2020年に53歳で年齢的にも一年延期での54歳はきついと思いましたし、シニアカテゴリーも実力者が増えてきて簡単には勝てません。さらに中止ということで、2021年の残りのジャパンツアーへのモチベーションをどのように切り替えるのか、次の目標を定めるのは僕には正直厳しいと思いました。
でも、やはり小林社長はじめ700Cの皆様には申し訳ない気持ちがありました。」(工藤誠司選手)
「年齢的に自国開催のワールドカップ出場は最後のチャンスだと思っていました。その意味では非常に残念でしばらく大きな喪失感がありました。期せずしてオリンピックの延期や中止の話題が非常に身近なものに感じることとなりました。」(大塚有尋選手/2018年ワールドカップ出場)
「複雑な気持ちでした。オリンピックがやれるならフットゴルフだってできるって思いと、感染リスク等考えると最善だったのかなと。あとは、私の場合多くのスポンサー様の力をお借りしてプレーしているので、真っ先にスポンサー様の顔が浮かびました。ワールドカップ目指すことを契約時にお話ししていましたし、そもそも大会が無くなる想定がなかったので、どうしたらいいのかと思い、発表当日は仕事を昼で切り上げ、スポンサー様たちに連絡を取り続けたのを覚えています。」(三浦尚子選手)
「残念ながら、コロナ禍で中止となってしまいましたが、母国での開催。そこで代表選手として戦いたいという気持ちはとても大きかったです。フットゴルフを色んな人に知ってもらえるチャンスだと思いました。」(山野香織選手)
こうして一瞬のうちに幻となってしまったワールドカップ日本大会。
そして2021年の残されたツアーの日程だけが残ります。
ワールドカップの出場という目標がなくなってしまったツアーが残りました。
中止の発表があった3日後に開催されたワールドカップ開催地セブンハンドレッドクラブでのジャパンツアー。
そこで松浦会長はこのように語りました。
「ピンチはチャンス。我々は今、何かを課せられている。今だからこそできることをしっかりやっていきたい。」
セブンハンドレッドクラブでの開催から始まった2021年のジャパンツアーは7月24日まで14戦行われました。
選手の皆さんは、ワールドカップ中止という現実を受け止めながらこの14戦に臨みました。
松浦会長が語ったように選手の皆さんもこの14戦の戦いに、目の前の戦いに必死に向き合って臨んだことでしょう。
その姿には大いなる敬意を表したいと思います。
※松浦会長のコメントは「フットゴルフジャーニー特別編」より引用させていただきました
2021年7月24日。
北海道ゴルフ5カントリー美唄コースで2日間に渡って開催されたジャパンツアーを最後に2019-2021年シーズンが終わりました。
長く、激動のシーズン。
選手の皆さんにシーズンが終わった時の印象を伺いました。
「2019-21シーズンは、逆転で年間王者となることが出来ました!最後まで優勝争いに絡めたことは、とても嬉しいことです。一方で、翌月からは日米対抗戦代表をかけた新たな争いが始まります。シーズンが始まるときは、いつでも代表落選の恐怖心があります。その戦いに強い気持ちで挑むことを決意して、気持ちを切り替えました!」(小林隼人選手)
「W杯が中止になりましたが、モチベーションもそこまで下がらず、最後までやりきり、シ自身最高位の4位でフィニッシュしました。残り3ヶ月で優勝を3回したことは自信にもなり次につながっていくシーズンになりました。」(大塚高雅選手)
中央:大塚高雅選手 左は大塚有尋選手 右は三浦尚子選手
「自分の売りの一つである安定感のある戦いが出来なかったシーズンだったなという振り返りでした。色々あったシーズンでしたが、もう一度、自分のプレーを見つめ直すタイミングがきたなという感じでした。」(鈴木秀成選手)
鈴木秀成選手
「WC中止が決まったときは、さすがにショックでしたが、目標のTOP7は完遂しようと決意し、JAPANOPENには出場し続けました。 最終節を終えて幻になりましたが国内TOP7に入れたことは次のシーズンにいい影響を及ぼしたと思っています。」(山縣祐人選手)
中央:山縣祐人選手 左は髙村雅之選手 右は前田春香選手
「シーズン途中で怪我によりジャパンツアーに本格参戦し始めて初の欠場も体験しました。アジア杯落選の悔しさを、W杯の舞台でリベンジする事を目標にスタートしましたが、結果としてはW杯が開催されたとしても出場権とは程遠い順位で終わってしまいました。当時は何のためにフットゴルフをしているのか分からなくなりフットゴルフ界から離れることを考える時間もありました。しかしたくさんの方々に支えられてフットゴルフをプレーしている事を再認識し、また次の目標であるW杯アメリカ大会向けて気持ちを新たに決意を固めました。」(平野靖之選手)
「『自国開催・自国優勝』を掲げていたので、非常に残念ではありましたが、次のワールドカップにフォーカスし、再スタートを切りました。シーズン終了直前に怪我をして、8試合出場することができず、ジャパンツアーのランキングも首位から3位に落ち、2シーズン連続の日本チャンピオンの座を空け渡す形となりました。」(立花友佑選手)
右:立花友佑選手
「何のために戦ってきたのか、というどこにもぶつけようのない気持ちはありましたが、目標を見つけて又頑張ろうと自分に言い聞かせていたと思います。」(八谷紘希選手)
「シーズン終了時、7選手以外で代表選考の基準を満たした人への処遇が明らかになっていなかったので、そこに対する不満がありました。そこからどこを目指せばいいのかというのが正直なところでしたが、次のW杯に向け、次のシーズンは色々試してもう一段階ステップアップするチャレンジの年にしようと考えていました。」(高波瀬史人選手)
「このシーズンの結果が宙ぶらりんになってしまう形になり競技を続けるかどうかさえ悩んだ選手もいたり、ほとんどの選手が下を一度は向いてしまったと思います。ですが今までやってきたことに悔やむ必要はありません。たしかにこの時点でのランキング上位者にしてみれば悔しくて悔しくてという思いでしょう。世界とまだまだ差のある日本としては世界のトップとの差を埋める時間として前向きに向き合うしかないのです。次なる目指すべき場所は2023年アメリカとなりました。この空白の期間があったからこそ新しい挑戦者も増え、それぞれのレベルも上がりさらなる日本代表争いが激化し、日本のフットゴルフ界にとって新しい門出となり生まれ変わったジャパンフットゴルフパワーを持って皆でアメリカへの道を進みたい。
今はそう思います。」(冨沢和未選手)
「率直に、あと一年頑張るためにどうすればよいか?だけでしたかね~。やっぱり年齢的なものもありますし、シニアカテゴリー的には経験のある若い選手がどんどん増えてきましたので。老化は止められません(笑)」(工藤誠司選手)
「正直なところ、ワールドカップが中止になり、フットゴルフの最大の魅力の海外選手たちとの交流の場が失われてしまい、大きな喪失感がありました。一方でフットゴルフの大会に参加できる喜びを感じながらプレーはしていたので、気持ちの整理ができていないまま喪失感と喜びという複雑な心境を抱えていたように思います。また、ワールドカップの中止が決まってから長期間、ジャパンファイナルやアジアカップ、ワールドカップ等、競技を続ける上で最も大切な目標がなかなか提示されず、正直戸惑い、悩んでいました。ワールドカップが2021年に延期、中止となり、ジャパンツアーが再開されてからはオフもなく、日本代表を目指して毎月のように取り組んできた長いシーズンは結局なんだったんだろうと心に大きな空白ができていました。競技を続けるためには、一サラリーマンとしては費用的な負担も大きく、そういう意味でも続けていけるのか不安が大きかったです。」(根元央希選手)
「コロナ禍の中で、仕事との兼ね合いもあり大会に出場できない時期がほとんどでした。その中で、出場できそうな大会を厳選し、出場できる時には自分の力を発揮できるよう準備をしていました。大会関係者の皆様におかれましては、厳しい状況の中、選手の安心安全の為に尽力いただき感謝しています。」(山野香織選手)
「ワールドカップ自国開催という夢の舞台がなくなってしまった事は本当に残念でしたが、出場権獲得へ結果を残せたことは自信に繋がりました。」(阿漕洋子選手)
「ワールドカップがなくなり、目標を失ったショックはなかったとは言いません。ただ最善だったのかなと思います。もちろん自国開催のワールドカップができたら最高だったと思います。オリンピックでもメダル獲得数が上がったように、自国開催は日本人にとってはプラスだったと思います。でも私個人としてはあの時すぐに切り替えられたと思います。準備期間ができたもっといい状態でワールドカップを目指そうってなっていました。」(三浦尚子選手)
フットゴルフのみならず様々な競技を見ても地元開催の世界大会の延期、中止を経験する選手はなかなかいないのではないのでしょうか。
そのショックは我々が想像する以上に大きいものであることは間違いなく、選手の皆さんのお話からもその様子をうかがい知ることができます。
そして大きな目標を失いながらも必死に2019-2021シーズンを戦い抜いた素晴らしい選手たち。彼らの戦いは決して色褪せることはありません。
ここにひとつの資料があります。
それは2020年にセブンハンドレッドクラブでフットゴルフワールドカップを開催するためのプレゼンテーション資料です。
セブンハンドレッドクラブのある栃木県や地元さくら市、宿泊地として予定されていた宇都宮市や観光地である日光などの開催地を紹介するものに次いで500名にも渡る各国の出場選手枠数や個人戦、団体戦などの日程についてまとめられています。
そして選手たちが戦うワールドカップ専用の特別なコースレイアウトの詳細な案内・・・
普段はお目にかかれない、海外のコースにも負けない、まさに夢のコースです。
そんな夢のコースで躍動する日本人選手の姿を想像するとやはり幻となってしまった日本大会への思いは募るばかりです。
それでも日本のフットゴルフは歩みを止めず、後ろを振り返らず未来に向かって進んでいます。
もっと大きな夢と希望の世界に向かって。
最終回となる次回フットゴルフワールドカップ~その10~では、これまでの歴史を踏まえた日本のフットゴルフの「今」と「未来」についてまとめます。
どうぞお楽しみに!!